大震災

 

2010-01-16 12:35:08
阪神大震災から15年
明日で阪神大震災からちょうど15年になります。
当時、私は三菱重工入社1年目の新入社員として、神戸にある狭い2人部屋の寮に住んでいました。地震の瞬間、自分の父が叫んでいる夢から目を覚ますと、すさまじい揺れの中で同室の池田君が叫んでいました。
年末に会った裁判所勤務の友人が、神戸の事案には、「裁判では救済が難しい」と説明しても、無理やり訴訟にしたり、勝てる見込みがないにもかかわらず最高裁まで持ち込んだりする人が比較的多い、と教えてくれました。震災前はそうではなかったと。
昨日、被害の大きかった長田区にある企業に伺ったときも、震災で大変なことになった、という話が出ました。当時、私の叔父が長田におり、震災当日の夜に、電話のつながった父から「どうなっているか見に行ってくれ」と言われ、寒い夜中にバイクで新長田まで走りました。新長田には古い長屋が多く、そこらじゅうで火事になっている中、なんとか叔父やいとこ達が無事であることを確認しました。今やすっかり長田の町も変わってしまいました。
震災で被災された事業者救済のために作られた神戸市ものづくり復興工場に伺った際、「長田の地場産業であった靴製造業者も多数入居しているが、もともと零細な事業者が多く、高齢化しており、さらに経営環境の変化で厳しい状況になっている」とのことでした。
先日、息子が小学校からもらってきた学校通信に、校長先生が、同校卒業生の安田大サーカスの安田団長のことを書いていました。安田団長が成人式で、小学生のころから仲の良かった友人と会った二日後、その友人がビルに生き埋めになり、安田団長や同級生達はビルの前に泊まりこみ、声をかけたり、ポケベルを鳴らし続けました。生きていると信じていた友人と最後の別れをした翌年、「おまえ、面白いからお笑いになったらええねん」という友人の言葉を胸に、やりたかったお笑いの道に進むために、お笑い養成所に入った、という話でした。
あれから15年。
今だに阪神地域の人々には、震災の記憶が生々しく、心に深く刻まれています。

 

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